インテグラル・ヴィジョン

インテグラル思想とは何か。英語重要文献の和訳、勉強交流会のお知らせ、思うこと。

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2012年4月5月のインテグラル理論・実践勉強会ですが、
勝手ながら、主催者の都合により、お休みとさせていただきます。

またのご参加をお待ちしております。





2012.04.19 22:07 | 今後の勉強会連絡 | トラックバック(-) | コメント(1) |
 以前、本ブログにおいて、スウィム著『The Universe Story』を参考にして「宇宙・生命・意識 137億年の歴史年表」という記事を書きました。同書の「序章」部分において、同じような137億年〔150億年〕の全体像が表形式でない文章としてまとめられていたので、以下に訳出しておきたいと思います。

 以下の序章部分は原著にして約10ページ分であり、本文部分でおよそ250ページを費やして同様の内容が詳述されていることを考慮すると、単純計算で、本書には同様の内容がこの「25倍の密度」で書かれていると言えるでしょう。

(なお、以下に登場する「ティアマト」「アリエス」「バイキングラ」「アルゴス」という4つの呼び方は、まだ科学的な固有名が与えられていない恒星と生物に対して、著者スウィムが古代の神話をもとに独自に命名したものです。科学界一般に普及している呼び方では全くないことにご注意ください)




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★150億年前、大いなる一瞬のひらめきのなかで、宇宙は燃え上がり、存在するようになった。存在が滴り落ちるその一瞬一瞬において、原始のエネルギーは激しく燃え立ち、一様な状態に戻ることは決してなかった。力に覆われた宇宙があらゆる方向に膨れ上がるにつれて、素粒子は安定化できるようになり、水素とヘリウムという最初の原子たちが出現するようになった。

 大荒れの100万年間を終えると、熱狂的な粒子たちは自らを落ち着け、原始の火の玉は大いなる散らばりの過程を経ることになった。原子たちはみなお互いから離れ、このときに初めて現れた暗がりの空へと舞い上がったのである。



 10億年の間、片時も途切れることなく夜が続いていたため、宇宙は、次なるマクロな変容へ向けての準備を整えることができた。そのような深い沈黙のなかで、宇宙は、その莫大な創造力とともに身を震わせ、様々な銀河を形づくった。アンドロメダ銀河、おとめ座銀河団、ペガスス座、ろ座、マゼラン雲、M33、かみのけ座銀河団、ちょうこくしつ座、ヘルクレス星団、そして我々自身が住んでいる天の川銀河など、その数は全部で1000億にのぼる。

 こうした巨大な構造は、空っぽの宇宙空間のなかでかざぐるまのように回転し、水素とヘリウムを掃き集めることで、自己組織的なシステムを、システムの集団を、そしてシステムの集団の集団を形成していった。1つ1つの銀河は、その独自の形を宇宙に贈り捧げたとともに、そのなかに独自の動力学を抱えていた。そして1つ1つの銀河は、自らのもつ物質をもとにして、何十億もの原始星を産み出したのである。



 最も明るく輝く恒星たちは、その自然な一生を慌ただしく終えて、巨大な超新星爆発を起こした。その巨大さと言えば、光度において10億個の恒星に匹敵するほどである。その爆発のなかで、恒星の内部にあった物質たちが、銀河全体の至るところに吐き出された。やがて、何十億年という期間をかけて恒星内部の核融合プロセスによって創り出されていた物質を原料にして、新たな星々が形成された。

 第二世代の恒星たちは、より豊かな可能性と、より複雑な内的構造をもっている。なぜなら、第一世代の恒星たちが、炭素、窒素、酸素、モリブデン、カルシウム、マグネシウムを初めとする何百もの元素を創り出していたからである。

 そして、時の始まりよりおよそ50億年が経過した頃、我々の暮らす渦巻銀河のなかで、恒星ティアマトがその姿を現した。固く結びついたティアマトは、その燃えさかる腹のなかで様々なことを試したが、やがて自分自身を生贄に捧げ、超新星爆発のなかで自らの身体を切り開き、新たな元素たちの力をあらゆる方向にまき散らした。この冒険はさらに深まりうるようになった。



 50億年前、宇宙開闢より100億年の年月が流れていた頃、我々の暮らす天の川銀河が、雲のように穏やかに漂っていたティアマトの残骸を揺り動かし、1万の新しい星々を産み出した。

 一部の星たちは小柄な褐色矮星となった。別の星たちは青色超巨星となり、あっという間に、白熱する新たな超新星へと姿を変えた。別の星たちは、安定的に長く燃え続ける黄色の恒星になり、また別の星たちは、すやすやと眠る赤色の恒星となった。そして多様性を求めるこの宇宙は、星間空間に浮かぶ元素の雲から、太陽をも産み出したのである。

 ひとたび存在を許されると、太陽はその自己組織化能力を見せつけ、自らの周りをうろつき続ける元素の雲を、ほとんど全て吹き飛ばし、その残りの雲だけを紡いで、何本もの帯をもつ物質の円盤をつくり上げた。そしてその円盤から、太陽、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星よりなる相互結合システムが現れたのである。






★熱気に満ちた初期の地球は、溶融物質と気体のかたまりとして沸き立っていた。水星、金星、火星、そして冥王星においては、化学的な結合によって、岩石と大陸と地殻がゆっくりと形づくられていったのだが、それらによって惑星の動力学があまりにも制限されたために、重大な意義をもつ創造性はすべて尽き果ててしまった。

 木星、土星、天王星、そして海王星においては、化学的な創造性が単純な化合物を超えて進歩することは決してなかったために、それらの惑星は、何十億年もの間、気体をただ激しくかき回し続けてきた。

 地球においては、惑星内部の動力学と太陽系内での位置が良好なバランスを保っていたために、物質は、固体と液体と気体のどの形態でも存在し得たとともに、1つの形態から別の形態へと容易に移り変わることができた。絶え間なき創造性に満ちた化学的な子宮がつくり上げられ、40億年前、そこから最初の細胞であるアリエスが現れた。



 原始の細胞たち――原核生物――は、星々や銀河と同じように、自分自身を組織化させる力をもっていたが、それに加えて、驚くべき新たな能力を贈られていた。細胞たちは、多くの情報を記憶することができたのである。その情報には他の細胞と結びつくために必要なパターンも含まれていた。

 細胞たちはまた、新たな次元の創造性を所持していた。太陽が光の速さで投げつけてくるエネルギーの束をキャッチするための化学的なグローブをつくり上げ、その光輝く量子を食糧として利用したのである。



 渦巻銀河には絶え間なく星々を産み出す力があったが、そこで形成された惑星たちのなかには、少しの間だけ花開き、まもなくその重大な進歩を停止させるものもあった。木星や、太陽をまわる他の諸惑星がそうである。

 さらに言えば、地球のように、創造性が煮えたぎり、宇宙が何十億年のあいだ自らを展開させ続けている場所でさえも、重大な発達がすべて途絶えてしまうことがありうる。ちょうど20億年前の地球で起こりかけたように。



 最初の原核生物であるアリエスとその子孫たちは、海から水素を集めることによって、地球のシステムのなかへと酸素を放出した。海と陸と大気は、ゆっくりと酸素に満たされていった。

 だが、爆発的な力を秘めたこの元素で地球の化学システムを一変させることによって、原核生物たちは、知らず知らずのうちに、地球のシステムを極めて不安定な状態へと押しやっていたのである。それはもはや自分たちが存続できないほどに不安定な状態にあった。

 しかし、この惑星における生命の存在可能性そのものが脅かされるようなこの危機のなかから、バイキングラという新しい高等な生物が現れた。



 最初の真核生物であるバイキングラは、酸素に対する完全な耐性をもっていただけではなく、酸素のもつ危険なエネルギーを自らの目的のために利用する能力もそなえており、それゆえに創造性に満ちあふれていた。

 真核生物は減数分裂に基づく性を発明した。遺伝的に異なるものとなった2つの生命が結合し、両方の遺伝的な資質に基づいて新たな生命が形づくられるようになると、宇宙の多様性は何百倍にも膨れ上がった。

 真核生物はまた、他の生物を食べるという習慣を発明した。地球という共同体は、性的な絆の親密さだけではなく、生態学的な捕食者-被食者関係と結びついた親密さによっても深化させられた。

 最後に、真核生物は、自分たちが地球システムのなかで最も高等な有機体であった時代の終わりに、あまりにも大胆な一歩を踏み出した。自分自身をより大きな知性のなかへと沈めたのである。何兆もの真核生物が一緒に集まり、最初の多細胞動物であるアルゴスが呼び起こされた。



 6億年前、多細胞の有機体たちが、質的に異なる多種多様な身体設計をもって現れた。サンゴ、ぜん虫、昆虫、二枚貝、ヒトデ、海綿動物、クモ、脊椎動物、ヒル、そして他の絶滅生物などである。メソコスモスに生命が誕生したのだ。

 ぜん虫たちは、滑らかに獲物を捕らえられるように、身体をぴくぴく小刻みに動かすことを学んだ。海を渡るために肉づきのよい翅を伸ばし、他の生物が殻を発明したときには歯を発明した。

 海の波は海洋植物を高温岩石のそばに足止めさせた。そうした植物たちはまともに這い進むことができなかったので、その代わりに木部細胞を発明し、ヒカゲノカズラの木として真っ直ぐに立ち上がるようになった。海岸沿いや川沿いで生活していたのだが、今度は自分自身を裸子植物へと変容させ、陸地全体を生命で覆い尽くすようになった。

 植物の後を追うように動物たちが陸に上がり、まもなく、20億年のあいだ地球のマントルの上を生命もなくただ浮かんでいた大陸は、両生類や爬虫類や昆虫や巨大な恐竜とともにうなり声をあげた。そうした生物たちは、その眼を輝かせて、陽光に照らされた森林樹冠の葉へと手を伸ばそうとした。



 地球のなかで生じたこのような創造性の全てが、多種多様な安定要因に依存していた。例えば、太陽が水素を安定に燃やし続けること、地球が太陽の周りを安定に公転し続けること、地球システム全体のなかで何百京もの化学結合が安定的に持続すること。

 だが、銀河とは計り知れない故郷であり、地球にもまた定期的に悲劇が訪れた。最も強烈だったのは、他の天体が、地球とその繊細な生命の織物に衝突したことである。6700万年前、天文学的な衝突が地球の大気と気候を一変させ、ほぼあらゆる形態の動物が、自らを再発明しないと絶滅するという状況に陥った。

 大量絶滅とは、多くの動物が恐竜と一緒に墓場へ向かったことを意味するのだが、そのような破壊は新たな可能性を切り開くものでもあった。その可能性にとびついたのは何より鳥類と哺乳類であり、悲劇のすぐ後に続いて、個体数を激増させて光り輝いた。



 2億年前、地球の生命に哺乳類が参入したとき、哺乳類は情動的な感受性を発達させた。神経システムのなかに、宇宙を感じるための能力を開発したのである。

 哺乳類の誕生以来、特に新生代の6700万年の間に、世界の美と恐怖――鳥たちの鮮やかな羽毛、夢中にさせるような花々の飾り、甘味豊かな果実、恐怖におびえる夜の森、元型的な力をもつ母親と幼児の結びつき――が、あらゆる哺乳類の心の性質に深遠な痕跡を残した。クジラ、ネズミ、アシカ、コウモリ、ゾウ、ヤマアラシ、ウマ、トガリネズミ、シカ、チンパンジー、そしてヒトを含めて。

 霊長類を初めとする最も高等な哺乳類のなかのごく一部の生物例においては、この哺乳類的な情動的感受性が、もう1つの神経系能力である意識的な自己認識によってさらに深化した。その両者によって力を与えられたヒトは、自分自身の明瞭な生態学的ニッチを求めて、自らを包みこむ地球共同体のなかへと探り針を入れるようになった。






★400万年前、アフリカで、ヒトは2本の肢だけで立ち上がるようになり、200万年前までには、自由になった両手を使って地球の物質で道具を作り始めた。150万年前、この落ち着きのない二本の手は、火をコントロールし、棒切れのなかに蓄えられていた太陽のエネルギーを具体的な形にすることで、自分自身の一大事業を発展させた。

 およそ3万5000年前になると、あたかも存在そのものへの驚きを抑えられないがごとく、ヒトは新たなレベルの祝いを始めるようになった。その祝いは地球深くの洞窟画として表現された。夜は祭りと即興演奏で満たされ、友人が亡くなり季節が過ぎ去るたびに儀式をおこない、動物を芸術的に描写することで、自分たちの心を捕えたその美をつかみとっていた。



 2万年前、地球は人間という要素を通して、意識的な自己認識を始めた。種まきのパターン、季節の変化、そして宇宙の根源的なリズムが自覚された。

 こうしたパターンの幾つかは何十億年も前に地球が生み出したものであり、最初期の人間もまたそのパターンの内部で何百万年も自らを組織化させてきたのであるが、1万2000年前、人間は初めて意識的にこれらのパターンを具体的な形にするようになった。植物を栽培し、動物を家畜として飼い慣らしたのである。その主な動植物は、中東では大麦とヤギ、アジアでは米とブタ、アメリカではトウモロコシと豆とアルパカであった。



 食糧が安定的に供給されると、人口の爆発が可能になった。1000人を超える人間集団を維持することのできた新石器時代の最初期の村落には、1万年前に興ったエリコ、チャタル・ヒュユク、ハッスーナなどがある。

 まもなく、人類全体が狩猟採集的な生活様式から村落定住的な生活様式に移り変わるにつれて、新石器時代の村落が惑星全体に現れた。それは人類の冒険のなかでこれまでに起こった最も根本的な社会変容であった。

 このような人類の文脈のなかで、陶器や織物や建築物が発達し、宇宙のリズムを明確に伝える様々な暦が現れ、そして旧石器時代のようにトーテムの動物へと献身する代わりに、グレートマザーの神性をまつる儀式や神殿が精巧につくり上げられた。最も重要なこととして、人類の多くの言語に見られる言霊(ことだま)――その元型的なシンボルは人間の遺伝的資質を活性化させることができる――の大部分が確立された。

 1万年前から5000年前というこの時代において、言語・宗教・宇宙観・芸術・音楽・ダンスはその最も精力的で根源的な形態を引き受けた。それゆえに、この後に現れる様々な都市文明は、新石器時代の間に確立された文化的パターンをより精巧に作り上げたものであるとみなせる。



 5000年前、人類の冒険は都市文明という新たな生活様式へと突然変異を起こした。ちょうど真核細胞が、自分たちの相互没頭関係によって複雑な動物有機体が誕生するなどとは思いもしていなかったように、シュメールで新石器時代の村落に群がっていた人類もまた、自分たちの社会的な相互作用が強まることによって人類のプロセスのなかに新たな力の中心地が生み出されるなどとは少しも感じていなかった。

 バビロン、パリ、ペルセポリス、バラナシ、ローマ、エルサレム、コンスタンティノープル、西安、アテネ、バグダード、マヤのティカル、カイロ、メッカ、デリー、アステカのテノチティトラン、ロンドン、クスコ、インカの太陽都市が生み出されるなどとは。



 階層的な権威関係と専門性の強調に基づく官僚的なシステムが発明されると、人類と自然のプロセスは大きな変容を遂げた。河川は、耕した畑に水を引くための灌漑システムとなった。商業的な取引は、隊商が世界を行き来し、森林が海運事業へと変わるにつれて、国家全体のエネルギーを動かすようになった。人口と富は膨れ上がり、ピラミッドを初め、精巧な寺院、華麗な神殿、豪華な宮殿、そして大聖堂がそびえ立った。

 富と権力の集中していた都市の中心部を保護し、国家の公布した法令規則のもとで惑星の偉大な領土を維持するために、軍事施設が現れた。その兵器開発と要塞化と慢性的な交戦行為が大陸全体を覆い尽くしたのだが、それを支えていたのは戦争の神であった。人類事業の主要なシンボルとして、グレートマザー像の代わりに登場していたのである。



 このような騒乱の最中で、パトス〔情念〕という人間の条件と、パトスを超える超越的領域――ブラフマン-アートマン、天国、涅槃――が、人間の心のなかに自らを刻みつけた。

 仏教、キリスト教、イスラム教という万人救済論的な信仰が現れ、この惑星における文明の中心地へと普及していった。ヨーロッパから、北アフリカとインドを経て、ユーラシア大陸を横断し、中国と東南アジアへと。中東、ヨーロッパ、インド、中国という4つの文明複合体の影響を完全に免れたのは、サハラ砂漠以南のアフリカ、アメリカ、オーストラリア、そして幾ばくかの原住民だけであった。



 500年前、ヨーロッパ人たちは、人類第三の偉大なる放浪を開始した。第一の放浪によって、ホモ・エレクトゥスはアフリカから北方へと移動し、ユーラシア全体へと居住地を広げた。第二の放浪においては、ホモ・サピエンスがアメリカとオーストラリアにたどり着いた。

 16, 17世紀の近代的脱走が以前のものと異なるのは、もはやヨーロッパ人はどこへ向かっても人間に出会うということであった。優れた技術と官僚的な社会システムを整えていたおかげで、ヨーロッパ人は惑星全体を植民地化することができた。特にアメリカとオーストラリアを。19世紀になると、インドが植民地に加えられ、日本と中国はヨーロッパ企業との貿易パターンを強制させられた。

 こうして人類の政治的文化的な姿形は根底的に変化することになった。様々な人間共同体が互いに連絡を取り合い、それ以前には決して存在しなかったような仕方で共通の運命へと向かい始めたのである。



 このようなグローバルな政治的連結が形成される一方で、ヨーロッパ自身の内的表現もまた、自己統治する国民国家という形で現れた。このリベラルな民主主義運動は、惑星全体に広まることになるのだが、その荒々しい始まりは1776年のアメリカ独立革命と1789年のフランス革命であった。

 19世紀と20世紀の全体を通して国民国家は、一団や村落や首都とその周辺領土に代わり、統合的な共同体をもたらした。国民国家の聖なる神秘性は、愛国心、進歩、民主的な自由、私的な財産と経済的な利益に対する個人の権利といった理想のなかに見出された。それゆえ国民国家間の対立とは、神聖な理想を賭けた聖戦としての性格を背負っていたのである。それはヨーロッパ内部の緊張関係のなかで最高潮に達し、まもなく20世紀の人間世界全体を巻き込むことになった。



 支配的存在として現れたのは、特定の国民国家ではなく多国籍企業だった。この新たな組織はその莫大な科学的・技術的・財政的・官僚的な力を用いて、人類経済の利益のために、地球のプロセスをコントロールした。

 20世紀の終わりまでには、産業的な略奪による自然システムの破壊のために、その重大性において国家間の戦争による破壊が小さく見えるようになった。地質学の用語で言えば、20世紀における人類の活動は、新生代6700万年の冒険に終止符を打ったのである。






★産業的人類が10億人に達して地球の複雑な有機生物のなかで最大数を占めるようになり、自らを惑星全体の生態系的共同体のなかへと入りこませ、地球の多様性を劇的に減少させ、「地球総生産」の大部分を人間の社会システムに注がせるようになっていた間に、人類の意識のなかでは重大な変容が進行していた。

 人類は、この全体としての宇宙が、単なる背景でもなければ単なる既存の場所でもないということを発見していたのである。実験に基づく調査によって、自分たちが参加者であるということ、複雑に機能する地球を生み出したこの150億年間の一連の変容の参加者であるということを発見していたのだ。

 西洋的な知性は、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、ビュフォン、ラマルク、ハットン、ライエル、ダーウィン、スペンサー、ハーシェル、キュリー、ハッブル、プランク、アインシュタイン、そして近代科学の事業全体を通して、持続的で荒々しい襲撃を宇宙に課した。

 そうしてこの宇宙に関する根本的に新しい理解がもたらされた。宇宙は、宇宙というよりは宇宙創世記であり、今なお展開しつつある共同体であり、その展開プロセスの最中で、人類にも重要な役割を与えているのである。



 150億年をかけて、宇宙は様々なものを生み出してきた。星、銀河、超新星、最初の細胞、高等な真核生物、植物と動物の繁栄、そして意識的な自己認識。それらは地球共同体の多くの構成要素にあまりにも深く浸透してきた。

 地球共同体の未来は、人類のなす選択に大きく依存している。人類は地球のプロセスを規定する遺伝暗号のなかにあまりにも深く入りこんでいるのだ。

 そしてこの未来は「技術代」に傾倒する未来と「生態代」に傾倒する未来との間の緊張関係のなかで実現されていくだろう。

 人類の利益のためだけに地球を資源としてますます搾取してゆく未来と、人類-地球関係の新たな在り方であり、地球共同体全体の幸福が主要な関心になる未来との間で。











2012.04.01 20:00 | 〔理論〕宇宙と人間の歴史 | トラックバック(-) | コメント(0) |
第22回 インテグラル理論・実践研究会

実施日:2012年3月17日
主催者:門林 奨



A. グループワーク

〔実践〕
・スリーボディワークアウト簡易版
・ビッグマインドプロセス(優越感, 劣等感, 平等感, 存在することのシンプルな感覚)

〔理論と感想〕
・今回の「声」について
・今回のワークを通して感じたことや気づいたこと




B. リーディング

使用文献:『インテグラル理論入門Ⅱ』(鈴木規夫他3名著, 2010)
「第二章 世界を構成する――ホロンの諸相」

〔疑問・感想・洞察〕





〔私の得た洞察〕
○ホロン階層の上下に何をおくかは、「あるホロンを消去するとそれよりも上のホロンはすべて消去されるが、下のホロンは消去されない」という原則によるもので、なにか「人間中心的な価値判断」によるものではない 。

○「自律性と関係性」という対立軸は、単に人間だけに当てはまる偶然的なものではなく、原子や分子の時代より受け継がれているコスモスの根本的な対極性である。そしてホロン階層をどこまで昇ろうとも、この戦いに決着がつくことはない 。

○人間は、そのホロン的性格上、心圏だけでなく、物質圏と生物圏においても、他の人間や周囲の環境と適切な交換関係を確立する必要がある。さもなければ、病理か死が訪れる。
「もし私たちが生物圏から与えられた可能性を侵犯すれば、生物圏は私たちを背中にかかったノミのようにふるい落とすだろう。そして相変わらず存在し続けるだろう」(『進化の構造』, p.169)

○「分子-細胞」や「細胞-人間」の関係と、「人間-社会」や「人間-生態系」の関係を、単純な比喩で対応させるのは危険である。社会ホロンとは、個体ホロンの上に来るのではない 。

○宇宙全体から見ると地球や人間など塵にも満たない大きさだが、それは「重要でない」ことを意味しない。そう考えるのは、幅〔スパン〕に目が釘付けになっているからである 。

○ホロンの深度〔構造的な複雑度〕が増大すれば、「よいこと」だけでなく、それだけ「まずいこと」「ひどいこと」も起こりうる。そのような両価性こそが「進化」の本質なのであり、負の面だけを見て「進化」の存在自体を否定することはできない。「文化の進化とは、新しい達成の歴史であるとともに、新しい病理の歴史である」(『進化の構造』, p.169)

○ホロン階層は、単なるものの見方ではなく、脳の解剖学的な構造として具体的に見ることができる。
・脳幹〔自律神経系の中枢。内臓や腺の調節、反射的な行動、睡眠、動物的な警戒心。爬虫類時代の継承〕
・辺縁系〔情動や感情をつかさどる。性、飢餓、恐怖、攻撃。前期哺乳類時代の継承〕
・大脳新皮質〔言語, 論理, 思考, 内省。心圏の爆発を可能にした〕
それぞれの脳はホロンであるがゆえに「相対的に自律」したものだが、またホロンであるがゆえに「上方にも下方にも影響を与え合い」ながら活動している。「情動や感情が神経システムや身体の状態に影響を与える」というのは、(サトルエネルギーを考えないとしても)この点からも説明しうる 。

〔疑問・感想・洞察〕






3. ディスカッション&シェアリング

○身近なものから抽象的な対象まで、さまざまなもの(例:人間, 木, よろこび, 形式操作的認知能力)を自由自在にとりあげ、必要であれば適切に言葉を変え、それが「個体ホロン」「社会ホロン」「人工物」「集積物」「グレーゾーン」のどれに該当するのか、個体ホロンであれば20の原則にどれほど従うのかを、全員で討議してみましょう。改めて、ホロンという概念の「有用性」と「限界」はどこにあるでしょうか。




○今回の研究会内容や書籍範囲のなかで、どのような点が最も印象に残りましたか?あるいはどのようなことを思い出しましたか?改めて深めたり確認したりしておきたいと思ったことはありますか?












2012.03.21 20:00 | 過去の勉強会資料 | トラックバック(-) | コメント(0) |
※以下の文章はキーガン著『In Over Our Heads』の一部自由要約です。



 Part9 問題生徒に対する意識発達の視点


 前回(Part8:友人関係における意識発達の視点)の要点。

 生徒たちの意識変容とは、各教科の授業実践だけではなく、他の生徒たちとの友人関係によっても支えられ促されるものである。そこでは、「自分とほとんど同じだがほんの少しだけ異なる相手」に自己を同一化させようという試みのなかで、自分の視点と相手の視点の「中間」にアイデンティティがつくり直されるのである。



 今回は、2次の認識様式にもとづいて行動する「問題生徒」と向き合うに際して、発達的アプローチと非発達的アプローチではどのような点が異なるのか、3つの具体例を挙げながら見ていくことにしよう。(pp.45-47)

(もっとも、以前の記事〔Part3:心からの自分勝手さ〕で述べたように、このような「問題生徒」のことを、なにか重大な技能やスキルを欠いているのだとみなす必要もなければ、感情面で病理や障害を抱えているのだとみなす必要もなく、もう手に負えないほどの頑固な性格に成り果ててしまったのだとみなす必要さえない。そうした子どもたちは3次意識を十分に修得していないだけなのである)



 ロザンヌは、小切手の窃盗罪で刑務所に送られていた。そこで彼女は「矯正プログラム」を受けることになるが、そのプログラムは行動主義的な理論によって組み立てられたものであった。

 囚人たちは「責任のある行動」をおこなうと、給料や報酬を受けとることができる。そこでは、ちょうどスキナーの箱のなかでボール遊びを学習してゆくハトのように、仮想的な経済システムのなかで囚人たちが社会的・対人的な関係を学習してゆくことが期待されているのである。

 さて、このプログラムは2次意識にもとづく行動論理の特徴を十分に踏まえたものであるといえる。だが、このようなプログラムによって3次意識への発達・変容がうながされることはない。一般的な市民が身につけている「表面上の行動」だけを真似させて、そうした行動を起こそうとする人々の「自己意識」や「認識様式」へと注意を向けないのは、人生というものを「ハトのボール遊び」と同等なものであるとみなすことに他ならないのである。

 実際、このような行動修正プログラムを終えた囚人たちは、他の囚人たちに劣らぬ頻度で、やがて以前のような生活様式へと戻り、以前のような犯罪をおこない、そしてもとの刑務所に送られてくる。

 このことは、人生というゲームが行動理論によって捉えられるよりももっと複雑なものであるということの、あるいはまた、矯正プログラムを終えて釈放された囚人たちの行動が以前とどれほど異なるものに見えようとも本質的なところでは実は何も変化していないのだということの、何よりの証拠であろう。



 テリーは、精神科病院のなかでグループ・セラピーを受けていた。そこでは、自分の心のなかにあるさまざまな動機や内面的な葛藤について、1人1人が反省的に語ることを求められている。

 だが、彼女はそのような心の内側を語らない。その代わりに、自分の望みを実現するうえで他の人たちが何をしてくれて何をしてくれなかったのかということを述べる傾向にあった。

 病棟のスタッフたちは、精神科での治療作業に応じようとしない彼女のこの傾向を「抵抗」と「拒絶」によるものだと考えた。そして彼女はとうとう精神科病院の外へと追放されることになったのである。

 先ほどのロザンヌの例が「旧い世界を超えてその外へと渡れるような橋を架けること」を軽視することによってもたらされた失敗だとすれば、このテリーの例は「新たな世界にただちに移り住むことができるはずだ」という過大な要求を課することによってもたらされた失敗であるといえる。



 リチャードは、ある職業訓練プログラムを受けていた。そのプログラムとは次のようなものであった。

 このプログラムにおいては、他の人たちと協力すること、みんなで何かを決定すること、責任を引き受けること、心のなかを分かち合うこと・・・そうした3次の価値が前面に押し出されることはない。その代わりに、リチャードが初めて目にするのは次のようなものだ。

 ボート製作所のなかに置かれた半分だけ造られたボート。「ボートが完成したら数十万円を差し上げます」という買い手からの手紙。そして、ボートを完成させるための方法を知っており、リチャードのような人物に対してその造り方を教えたいと思っている有能な大人たち。

 リチャードはこのプログラムに興味をそそられた。なぜというに、このような伝えられ方とは、彼の最も核にある意味構築様式にまさしく訴えかけるものだったからである。

 もっと周りをコントロールすることができるようになること、自己の力をさらに強めること、高めること、拡大すること、自分の能力を見せびらかすこと、誇示すること、新たな技能を身につけること・・・。

 このプログラムでおこなわれているのは、人と人との相互的な関係を十分に理解できないという彼の認識様式を、厄介な問題として捉えることをしないということだけではない。それどころか、彼のそのような「他者を道具としてしか捉えない態度」に根づく強みと動機づけを、積極的に認めようという試みがなされているのである。

 もちろん、ひとたびこの「フック」に引っ掛かれば、それまでの意味構築様式のままではどうしても限界があるということに気づくのは、時間の問題である。

 ボートを組み立てられるようになるということは、やがて、初めに推測していたのとは全く異なることであるということに気づく。それは、それまでの自分のままで単に新たな技能を身につけるということではなく、自分そのものをつくり直すということなのだ。



 言い換えれば、このプログラムにおいては、「他の訓練生と共同しながら集団で作業すること」「自分を含めたそれぞれの個人がどのような技能を使いこなせるのか(そして使いこなせないのか)を学ぶこと」「自分自身の目的を達成しようと努力しつつもそれと同時に他の人たちことを考えること」が要求されている。そしてこのような作業によって3次の認識様式への変容がうながされるのである。

 この「ボート製作所プラスアルファ」という空間は、そこに協力的な共同体がおのずと築き上げられることをそっと待つことで、用意のできた参加者たちが3次意識へと変容することをうながすのだ。リチャードが2年後にこう述べたように。

「あの頃は、ネジを取り付けるときに、自分が叱られたら嫌だなと、そんなことばかり心配していたんだ。でも今は、ネジを取り付けるとき、他の人たちが困らないだろうかと、そのことが心配になるよ」



 さて、このような巧妙な仕掛けをそなえているのは「ボート製作所」だけに限らない。

 コーチたちの率いる青年スポーツチーム、中学校や高校における「教師-生徒関係」や「教室空間のデザイン」、体育館や運動場に限らず学校のなかで身体能力を競ったりぶつけ合ったりすること、各学校間で優劣を競いあう数学の大会・・・。このようなさまざまな空間のなかでも見受けられることなのである。

 バスケットボールのコーチは、子どもや青年たちに、個人としての能力をもっと強められる、高められる、拡大できる、他の人たちに力を見せびらかせる、誇示できる、見返りを得ることができるといった「魅惑的な機会」を与えようとする。

 だが、ひとたび「フック」に引っ掛かると、子どもや青年たちは――そこではコーチの巧みな支援が求められるのだが――自分が欲しいものを得るためには次のようなことを学ばなければならないということに徐々に気づいてゆく。

 同じことに関心をもつ自分よりも大きな集団のメンバーになるということ。チーム全体を成功させるためにはときに自分自身の成功を犠牲にせねばならないということ。自分をそのチームと同一化させてそこに忠誠心を抱くということ。それゆえにチームの成功とは自分自身の成功に他ならず、自分自身の失敗とは単に自分がどれほど損失をこうむるかという問題であるよりはむしろチーム全体がどれほど損失をこうむるかという問題であるということ。



 言い換えれば、バスケットボールのコーチであろうと、生物の教師であろうと――単に生徒の行動やふるまいや思い感じる内容だけではなく、その奥にある「認識様式」や「意味構築様式」や「自己意識」そのものの発達・変容という点に着目するならば――それぞれの教育実践の背後に「共通の教育課程」「共通のカリキュラム」を掲げることができるのである。



 次回は、ここまでで何度も述べてきた「発達支援の原則」をもう少し一般的なかたちで定式化することにしよう。



 (Part10へ続く)





〔注〕なお、刑務所での矯正プログラムや精神科病院でのグループセラピーという方法論そのものが意識変容を支援しえないというわけではない。ただ、リチャードの受けた特定の職業訓練プログラムが意識変容をうながすものであったというだけである。言い換えれば、刑務所や精神科病院においても、自己意識の変容を支えうるプログラムを用意しうるし、同じようにまた、全く変容を支えないような職業訓練プログラムも山ほど存在するのである。








2012.03.10 17:00 | 〔応用〕現代を生きるための認識様式 | トラックバック(-) | コメント(0) |
※以下の文章はキーガン著『In Over Our Heads』の一部自由要約です。



 Part8 友人関係における意識発達の視点


 前回(Part7:2つの教育観と発達的視点のまとめ)の要点。

 基礎教育主義と全人教育主義のどちらの立場のなかにも、意識発達を支えるような教育の在り方〔発達的アプローチ〕と意識発達を支えないような教育の在り方〔非発達的アプローチ〕を見出すことができる。

 非発達的アプローチにおいては、年代や性格傾向や思想的立場やライフスタイルの異なる教師のあいだで共通のヴィジョンを築きあげることは往々にして困難である。だが、それに対して、発達的アプローチにおいては、各教師の表層的な教育方針がどれほど異なっていようとも、その差異を解消することなしに「共通の教育課程」(生徒たちの2次意識から3次意識への変容を支えること)を掲げうるのだ。




 さて、ここまで数回にわたって、国語科の授業実践を例にとりあげた。だが、言うまでもなく、生徒たちが2次意識から3次意識へと変容しゆくそのきっかけとは、各教科の授業によってのみもたらされるわけではない。

 それどころか、一般的には、同年代の友人との「関係性」のなかで、その変容がうながされることが多いのである。どういうことか。(pp.43-44)



 多くの若者は、青年期のどこかで、今までとは異なるタイプの「仲間」を見つけることになる。ここでの関係とは、もはや「行為」「交換」「比較」「競争」「妥協」といったものに特徴づけられているのではない。その代わりに、生まれて初めて「相手とともに意味を構築する」「相手とともに世界を経験する」といった対人的な特質を帯びるようになる。

 この関係が、いわゆる「仲良し関係」〔同世代の同性の友人との特別に親密な関係〕であるのか、それよりもむしろ「一方的な憧れ」に近いものであるのか、どちらにせよ、そこで若者たちは「他者との同一化」を試みることになる。そしてそのような自然な試みのなかで、2次意識の若者たちは、実に巧みな仕方で3次意識への変容をうながされるのである。



 初めのうちには、自分とは異なる別の視点が本当に自分自身の内側に入りこんでくることなどないように感じられる。

 だが、そこで見つけた「自分とほとんど同じような人」とは、実は2次意識にとっての「移行対象」〔一時的に愛着の対象となることで意識変容をうながすもの〕に他ならない。それは、自分自身の旧い認識様式の一部であると同時に、新しい認識様式の一部でもあるのだ。

 自分とほとんど同じような人に同一化するということは、単一の視点のなかに埋めこまれた状態を保ったままで、自己の視点を構築するときに相手の視点をとりいれるということである。

 そして、ある人物を「自分とほとんど同じような人」であるとみなすと同時に、その人物を「自分とほとんど同じような人なのだと今後も考え続けたい人」だと思うとき、否応なく、二人の視点のあいだにある微妙な差異に気づかされることになる。

 だが、その人物とはもはや「どちらの視点が正しいのかを競うべき相手」ではない。ここでは、自分の視点によって相手の視点を打ち負かそうとする代わりに、2つの視点の中間にアイデンティティをつくり直すことが試みられる。言い換えれば、なんとかして2つの視点を1つの線の上に乗せて調和させることはできないかと、さまざまな仕方で試行錯誤がおこなわれるのである。



 このような仲間とのふれあいのなかで、生徒たちは自分自身の視点だけと同一化することをみずから取りやめ、3次意識という全く異なる認識様式へと進んで手を伸ばす。ここでは、生徒たちの意識変容〔意識発達〕は、教師ではなく、他でもない同じ生徒たちによってこそ支えられているのである。



 次回は、さまざまな「問題生徒」に対する発達的アプローチと非発達的アプローチの例をとりあげることにしよう。




Part9へ続く)








2012.03.07 20:00 | 〔応用〕現代を生きるための認識様式 | トラックバック(-) | コメント(0) |